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映画「オーストラリア」の感想 [映画]

映画「オーストラリア」を観ました。

私の映画の基本スタンスは「観る価値のない映画はない」です。
その上で、ぶった斬っていいですか~?(笑)。本日は激辛で。

映画に何を求めるのか、何をもっていい映画なのかは、もちろん人それぞれの感性によっても違ってくるでしょう。ですから、あくまで個人的な感想ということでお許しを。

映画は約3時間近くあり、長いです。
後半では「蛇足」という言葉が何度も浮かびました。

もっと編集しようよ~、と多くの人が思ったのではないでしょうか(笑)。
正直、牛追いのエピソードで終わってもよかったような気がします。

でも、最後の最後まで目を離さずに飽きることなく観ることができるでしょう。
途中で脱落させることなく、最後まで観客を飽きさせないという点では、いい映画と言えるかもしれません。

この映画の脚本のダメダメな部分は、ヒュー・ジャックマン、ニコール・キッドマン、アボリジニと白人のハーフの少年ナラ役のブランドン・ウォルターズ、アボリジニのキング・ジョージ役のデヴィッド・ガルピリル、会計士役のジャック・トンプソンらの存在感、演技によって救われているといえます。

それぞれの演技は本当にすばらしいし、スクリーンも華やか。
間違いなく、観る価値あり。

とはいっても、二コール・キッドマンは英国貴族というよりは、ブリジット・ジョーンズのような演技ですが(笑)。

あっ、誤解がないように、私は二コールもヒュー・ジャックマンもとても好きな俳優です。尊敬する俳優です。オーストラリアも機会があればまた行ってみたい国です。オーストラリア、コーヒーもおいしい国です(笑)。

さて、テレビで大量の映画のCMが流れていますが、そのCM代をペイするほど日本ではヒットするのか、他人事ながら心配になります(笑)。で、そのCMのイメージだけで観に行くと内容に「えっ」と思うかもしれません。映画にはアボリジニ差別・迫害問題という重いテーマが設定されています。

どうして特別な存在感のナラ役やアボリジニ問題にCMで触れないのか、私には不思議です。そっちのほうが、観客も増えるのではないかと思います。まあ、これはどうでもいいことですが。

この先は、内容に触れますので、これから観に行くという人は読まないでくださーい。

映画の前半はCMの印象とは違い、コメディ&ファンタジーで、
笑えるシーンも目白押し。
これはうれしい誤算でした。

そして、牛追いの映像、音響は素晴らしい。
本当に自分の近くをたくさんの牛が駆け抜けているような迫力のある音と振動。
映画館ならではの臨場感。

さらに、「オズの魔法使い」の曲や映画の絡め方は実に効果的。

このままのトーンで映画が終わればよかったのですが……。

何が気に入らなかったかというと、いくつかあるのですが、まず、
牛の群れに踏まれてある登場人物が死ぬシーン。

私には必然性は感じられないし、それどころか、「すごいだろ?この映像!」と観客に自慢したい制作者側の意図がスクリーンから伝わってきます。

つまり、優れた映像技術を見せるために人を殺す、という本末転倒な悪趣味さが私には感じられました。うーん、うまく言葉では言えないけれど、そこには制作者側の愛がない。苦悩もない。

この映画を観た方には、私が言おうとしていることが少しはわかっていただけるでしょうか。観客を驚かすために体の骨をこんなふうに折っちゃえ~というような、いやらしい自己満足。いや、それは私の想像ですが、映像に詳しくもない観客にそう思わせてしまう点で失敗だと思います。

これは1例ですが、こうした悪趣味さがときどき垣間見えるんです……。

それが、この映画のコンセプトに合わないといいますか、パイレーツ・オブ・カリビアンのような映画では許される映像表現もこの作品にはマッチしない。

で、本題です。
えっ、文章が長い? 許して(笑)。

私が嫌悪感を持ったのは、フェアではない手法。

映画のなかでアボリジニを直接殺すのは唯一、なぜか日本兵だけ(えーっ!)。
それも、血も涙もないような冷酷な殺し方。

な、な、なんですか~!これは。
しかも日本軍、オーストラリアの島になぜか上陸しているしー。

このアボリジニが殺されるシーンも必然性はないと思います。
まるで、日本兵に殺されるために入れたと思われるシーンでした。

一方、白人がアボリジニを直接殺すシーンは一切ありません。
過去に白人がアボリジニを殺していたという事実にも触れられません。

アボリジニ問題をきちんと描きたいのか描きたくないのか。
この中途半端さに、監督自身に映画を撮る上での「覚悟」がなかったことがうかがえます。

それにしても、日本人がアボリジニを虐殺したような印象を終盤で与える展開はいかがなものでしょうか?

でも、まあ、映画だし。フィクションだし。
映画自体が時代考証を無視していて、豪州の人が見ようと、英国の人が見ようと、日本人が見ようと、どこか変なファンタジーな雰囲気がありますから、「ああ、オーストラリア人はこういう風に日本を描くのね」と、冷静でいられました。

しかーし。最後の最後で、なんだかなー、です。

映画ラストのテロップ。

「08年、ラッド首相は政府として初めて正式にアボリジニに謝罪した」という言葉が映し出されるのです。

嘘だらけのなかに、最後に真実をまぜる。
フィクションも事実のような印象を与えて映画は終わる。

この手法が私は許せない。

それならば、日本兵によるアボリジニ殺害はフィクションです、日本軍の上陸の事実もありません、という断り書きもどこかで入れるべきではないでしょうか。

それができないのなら、フィクションに徹して、豪州政府は謝罪したというテロップもカットするべきでしょう。フェアではない。

悪質ですよ、こういうやり方は。
嘘も事実のような錯覚を起こさせる手法です。

日本だからというのではなく、ドイツであろうとどこであろうと、こういうのはダメだと思う。

この映画の日本公開にあたり、映画評論家と呼ばれる人たちはこの点を監督や制作側にただしたのでしょうか? 日本兵だけがアボリジニを直接殺すシーンを入れた意味を聞くべきであり、そんな初歩的なこともしないのがおかしくてならない。

少なくとも「日本兵がアボリジニを射殺した事実はない」ということをはっきりさせておかないと。

ということで(?)、映画を女性の自立物語や恋愛物語としてCMで売り込むよりも、「問題作」路線で売り込んだほうが観客が増えるのではないでしょうか(笑)。あなたは、どう思いましたか?って。

やはり、牛追いのエピソードで映画が終わればよかったのかも(笑)。
それだけでも十分に映画として見ごたえがあるのに……。
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