小泉チルドレン [news&topics]
昨日の日記で何を言いたかったかというと……。
今週発売の「週刊文春」を読んでいたら、コラムニストの清野徹氏が的を射たコメントをしていた。小泉チルドレンという〝新語〟について「(前略)メディアはからかいで名づけたのに、小泉はそれさえ利用して大衆を御していく。(後略)」と。
そうなのである。「小泉劇場」もしかり。
本来は、当事者たちが嬉々として自ら発すべき言葉ではないのだ。
以前、知り合いの官僚が二言目には「××の子飼い、というのはやめてくださいよ~」と言ってきたことがある。
幹部だけど、周囲からはどうみても「子飼い」だし(笑)、別に目くじらを立てるようなことではないと思って言い続けたのだが(笑)、本人にしてみれば、これだけは譲れない部分だったらしい。
「子飼いって言いますけど、私はこれでも一人前です」。自分に関してはどんな批判でも受けるが、「子飼い」だけは勘弁してくれという主張だった。正直、細かいこと言うなあ、と思っていたが、そこには官僚としての気概やプライドがあったのだろう。
翻って、嬉々として「私は小泉チルドレンです」と言い放つ国会議員たち。
もちろん、自嘲的な含みはない。
彼らには気概やプライドはないのか?
いろいろな批判はあるにせよ、選挙の洗礼を受けて当選した人々である。
メディアなどから「小泉チルドレン」と呼ばれたら、「自分はチルドレンじゃないっ!」と抗議するくらいのプライドを持ってほしいと思うのは私だけだろうか……。ああ、早く大人になっておくれ(願)。
そもそも、「チルドレン」というカタカナがいけないのではないだろうか。
「子飼い」とでも呼ばれれば、彼らも揶揄されていることに気がつく?
関係ないが、同じ文脈で「ニート」という言葉も危険だと思う。
その語感からは危機感が伝わってこない。
カタカナは場合によっては物事を曖昧にしてしまうような気がする。
ところで。
流行語大賞トップテンに「刺客」も選ばれたが、受賞者は「該当者なし」だった。
あー、よかったー。私が刺客で~す♪という議員が出てこなくて。
自民党にも一抹のプライドが残っていると思いたい。