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使いたくない日本語 [雑感]

生まれてから現在まで、親から「勉強しろ」と言われたことが一度もありません。
はるちー家では放任主義と個人主義が重んじられてきました。
というか放し飼いですね。

しかしながら、そういう環境にあって、幼いころから父親によく注意されたことがあります。

「『絶対』という言葉を軽々しく使ってはいけない」というお叱りです。

「絶対、そうだよー」なんて話していると、「絶対、ということなんて世の中にそうない」という横槍が入ります。つまり、100%間違いないと言い切れることは、決して変わらない数式や法則(フレミングとか、なんか小難しい法則ってありましたよね)ぐらいだと。

人の言動や天気、憶測に対して「絶対」とはありえないのであり、「絶対」でもないのに「絶対」を多用する人間は信用されないという話だったと思います。まあ、要するに自分の言葉に責任を持てということなんだけれど。幼いと、「カタイこと言っているなー」ぐらいにしか思わないで聞き流していましたが。

その後遺症(笑)は今も残っていて、「絶対」という言葉を使うのには抵抗があります。政治家や企業のトップらの発言の中で「絶対」という言葉が出てくると、どうしてもひっかかります。ああ、この人の言うことは完全に信用はできないな、と。

人にはそれぞれ使いたくない言葉ってありますよね。

数年前、小林信彦氏が「癒しは卑しい」という内容のコラムを書かれていました。世の中でブームになっている「癒し」という言葉を使うことがいかに「卑しい」かを論じていたように憶えています。私もそれを読んでからは、「癒し」を自分の言葉としては使わなくなりました。

それから、なぜか記憶に鮮明に残っているのがピチカート・ファイヴの野宮真貴の言葉。なにかの本で「嫌いな言葉」の欄に「コップたち」と書いてありました。人・生物につけるべき言葉をコップなど物に対して使うのが嫌だという話だったと思います。彼女の美意識を感じた一言です。

私にもいくつか嫌いな言葉があります。
文字として書くのも嫌なので、ここには書きませんが(笑)。


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