ブックカバー考① [読書]
ああ、自分は日本人だなーと感じる時。
それは、買った本にブックカバーをかけてほしいと伝える時だ。
お店の人も必ず「カバーおかけしますか?」と尋ねる。
なぜブックカバーをかけるのか。
私の場合は電車の中などで、他人に何を読んでいるのか知られたくないからである。それは、自分が電車の中で他人が読んでいる本をチェックしているということでもある。もちろん、「ほぉー、こんな本が出ているんだ」「面白そうな本だな」とあくまでも本の情報が気になるだけなのだが(と言いながら、この人は今決算書の勉強をしているんだーとか、想像を膨らませています)、逆に自分が読んでいる場合は放っておいてほしいのだ(自分勝手です)。
要するに、他人の目が気になるのである。
個人主義の発達した国ならば、人は人、自分は自分で気にならないのだろうか。
日本以外で書店でブックカバー(正確には書皮)をかける習慣のある国を私は知らない。サイズ的に無理というか、過剰包装ということになるのだろうか。実は発想自体がないのでは?と思っている。おそらく書店員の芸術的な折りこむ技術も。外国で本を買った時もブックカバーがほしくなるのだが、そんなサービスにお目にかかったことがない。そして、外国の電車の中で紙のカバーをつけた本を読んでいると、かえって目立つ。
他の人はどう思っているのだろうかと気になり、ブックカバーをかける理由について何人かに聞いてみた。意外だったのは、「本を汚したくない」という意見が多かったことだ。これもまた、日本人らしい発想である。
Amazonで本を購入する人が多くなっている。しかし、Amazonではブックカバーをつけるサービスはない。私の場合、新幹線や飛行機などに乗るときに読もうと思う本は、あまりAmazonでは買わない。ブックカバーがほしいと思うからである。Amazonもブックカバーをつけるサービスをすれば、もっと売れるだろうと思うが、コストも人手も時間もかかってしまうので無理だろう。せめて紙だけを同封してくれたら自分で折りたたんでカバーにするのだが、まあ現実的ではない要望である。
こうしたことを考えていたころ、「これはなかなか上手い手法だな」と感心したことがある。
(長くなりそうなので、次回に続く)