ウィンブルドン化 [映画]
ほかの日の日記のコメントのやりとりで、ウィンブルドンやテニスの話が出てきたので、これについて少し……。
ウィンブルドンとはもちろん、あのテニスの聖地のことだが、「ウィンブルドン化」という言葉は、経済関係の分野でもよく耳にする。
「場所はイギリスなのに、選手は外国人ばかり」という現象から生まれた表現である。例えば、証券市場のウィンブルドン化、金融市場のウィンブルドン化という言い方をする。活躍しているのは外国人(外資)ばかりで、場所を提供しているその国のプレーヤー(国内資本)は淘汰された……という意味などで使われる。
テニスの話に戻ろう。
ウィンブルドン選手権の男子シングルスの場合、地元イギリスの選手が優勝したのは、第2次世界大戦前のフレッド・ペリーが最後。1936年のことだ。
さて、先日公開されたばかりの映画「ウィンブルドン」。
かつて世界ランキング11位にまでのぼりつめたものの、今は119位。引退を決意していた地元イギリス出身の男子テニスプレーヤーがウィンブルドン選手権のワイルドカードを獲得し、勝ち進んでいくという話である。
「ウィンブルドン化」という言葉まで生まれた背景を考えて観ると、なぜ名門ホテル「ドーチェスター」のスタッフたちがああいう行動に出たのか(映画を観てください)深く理解することができ、また、その感動度というものが違ってくると思う(ちなみに現在、ドーチェスターを所有しているのはブルネイの投資機関)。
パワーと自信を失った男が輝きを取り戻す……イギリスの人々は自分の国を重ね合わせて観たのではないだろうか。希望を込めて。
過去の関連日記「今春のおすすめ映画」 ↓
http://blog.so-net.ne.jp/bounds/archive/20050331