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白紙アドリブの弔辞 [news&topics]

心打たれる弔辞でした。

赤塚不二夫氏の葬儀・告別式。
弔辞を読んだタモリ氏。

「弔辞を読んだ」と書きましたが、タモリ氏が手にしていたのは白紙だったそうです。

アドリブだったんですね……。

その理由が弔辞の全文を読んで理解できました。

(弔辞より抜粋)
「あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。」

ニコニコと眺めているであろう赤塚氏にこたえたものだったのですね。
だから白紙で読むふりをしていたのかと。
まるで勧進帳読み上げのように。
高いところから眺めているであろう赤塚氏に向けて。

テレビのニュースでは弔辞が部分的に切り取られて報じられていますが、
全文を読んでいない方にはぜひ全文を読んでほしいと思います。

タモリ氏の弔辞全文を以下に掲載しておきます。
「8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。

 10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。

 終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ』と、こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。

 しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このやろう逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。

 いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。

 私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。平成20年8月7日、森田一義」
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snorita

いい文章ですね、泣ける弔辞です。(陳腐な言葉で済みません)
長い間の闘病生活だったので、「どうされたかなあ」と、ふと思っていたらの訃報でした。

>それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。

ここが沁みますね。合掌。
by snorita (2008-08-08 09:15) 

chicory

アドリブだったなんて、絶句。
言いたいことがきちんとあって、それをはっきりと伝えきれているのは、さすがです。胸を打たれる弔辞でした。この弔辞によって、赤塚さんっていい人だったんだなと思えました。
by chicory (2008-08-08 13:47) 

ミホ

やっとテレビで見ました(遅いっ!)。
良い弔辞というのも変な言葉ですが、赤塚さんの良さが伝わってくる素晴らしい挨拶だったと思います。この弔辞で、漫画家さんの一人というイメージからだいぶ変わったと思います。人とこんな素敵な関係を築けたら、人生は本当に豊かですよね。
by ミホ (2008-08-09 16:34) 

はるちー

>snoritaさま
泣けますよね。ニュース番組などではコメントする方々が「こういう言い方はおかしいかもしれませんが……」と断ってから、素晴らしい弔辞だった、感動した、などと話していました。海外からでしたら、YouTubeで部分的にですが、弔辞を読み上げるタモリさんの映像が見られると思います。
最後のあたりの言葉は深いですよね。
「私もあなたの数多くの作品の一つです」という締め方も見事だったと思います。
by はるちー (2008-08-10 06:35) 

はるちー

>chicoryさま
本当に驚きますよね。
映像でよく見ると、タモリさんの手と白紙の弔辞が小刻みに震えている場面がありました。全身で涙をこらえていたんでしょうね。弔辞で勧進帳をやってのけたのは赤塚さんへの渾身の最後のギャグだったのでしょう。この弔辞も2人の関係から生まれた数多くの作品の一つだと思いました。
赤塚さんの「タモリ基金」の話も胸を打たれました。
(↑仕事がなくなった赤塚さんにタモリさんが役員報酬などの形でさりげなく援助していたお金、実は赤塚さんがタモリ基金としてずっと貯金していたという話です。タモリさんがもしも売れなくなったときに備えて)。
by はるちー (2008-08-10 06:52) 

はるちー

>ミホさま
素晴らしい弔辞でしたよね。
2人の関係、赤塚さんのお人柄が伝わってきます。
この白紙アドリブも本当は2人だけにしかわからないギャグだったのでしょうね。赤塚さんの最後の作品として捧げたのではないでしょうか。たまたまカメラが白紙をとらえてしまい、みんなが知ることになってしまいましたが。
高いところからニコニコと眺めているであろう赤塚さんがこの弔辞に照れている姿が思い浮かびます。
by はるちー (2008-08-10 07:08) 

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